[本文0209]【王農大親の女子、入りて後宮に侍す。】真和志郡古波蔵邑に、王農大親、号を仁岳と称する者有り。一女子を降生し、名づけて真世仁金と曰ふ。此の時、神有りて王農の地に出現す。聖主、其の地に親臨して祭祀せんとし、遂に大親の宅に幸す。大親、外に出でて其の家に在らず。幼女独居して看守す。忽ち王駕の枉臨するを覩るや、乃ち位を設けて之れを迎ふ。王、熱々其の幼女の挙動を看るに、周旋大いに凡人に異なり、誠に成人の気象有り。王、即ち大親に命じ、幼女の成長に及ぶころ後宮に侍令せしむ。幼女年甫めて十四歳、始めて以て宮に入る。既に寵愛を膺け、擢んでられて夫人と為る。而して尚洪徳(読谷山王子朝苗)を生み、大按司志良礼に封叙せらる。厥の後、大親、嗣子有ること無く、其の有る所の家産田地等、悉く外孫尚洪徳公に与ふ。而して今、其の子孫世々其の田地を受けて、外祖を奉祭す。且春秋二季、皆宗族を聚めて、以て湧田神社を祭る。