[本文0215]【七年、冊封使郭汝霖・李際春、詔を齎して国に至る。】嘉靖丁巳、王、正議大夫蔡廷会・長史蔡朝器等を遣はして入貢し、兼ねて襲封を請ふ。戊午に至りて、世宗、刑科給事中郭汝霖・行人李際春に命じて冊封正副使と為す。海寇の出没時ならざるに因り、未だ開洋に及ばず。己未の秋、蔡廷会・長史梁w等、表を奉じ、方物を貢し、并びに恩を謝す。時に廷会等具言す、海中の風濤測りがたく、海寇の出没時ならず、恐らくは使者に他の虞有りて、罪を上国に獲ん、請ふ、正徳中、占城を封ずる故事の如く詔冊を賚回して、天朝の遣封を煩はさざらんことをと。福建巡按御史攀献科、以聞す。世宗、礼部に命じて議奏せしむ。礼部議奏すらく、昔、正徳中、占城国王、安南の侵す所と為り、他所に竄居す。故に使者をして勅命を賚回せしむるは、乃ち一時の権宜なり。然れども、占城国王沙古ト洛、猶、使を遣はして封ずるを懇請す。蛮邦の光重と為すなり。今、琉球は海中の諸国に在りて、頗る守礼に称ふ。累朝以来、之れを待するに優異、国王嗣立する毎に、必ず侍従の臣を遣はし、命服・節冊を奉じて以て往かしめ、著して例と為す。且、廷会は、世子の印文無し。若し遽かに其の言を軽信し、万一、世子、遣使を以て至栄と為し、遙拝を以て非礼と為し、肯へて封を受けず、復上書して使を請ふこと占城の如くんば、将誰か其の咎に任ぜんや。乞ふ、凡そ朝貢并びに冊封は例の如くして、以て大典を示さんことをと。世宗之れに従ふ。是の年に至り、海気稍々靖し。特に冊封正使刑科右給事中郭汝霖・副使行人司行人李際春を遣はし、詔を齎して国に抵りて、故王尚清を諭祭し、世子尚元を封じて中山王と為す。仍りて王及び妃に、皮弁冠綵幣等の物を賜ふ。既にして例に照して全く竣り帰国す。