[本文0246]【十八年、冊封使夏子陽・王士禎等、国に至る。】辛卯の春、王、正議大夫鄭礼等を遣はして、表を奉じて入貢し、始めて尚永王の訃を以て朝に告げ、並びに言ふ、国、方に多事にして、未だ封を請ふに暇あらずと。礼部の咨に言ふ、父王既に薨ず、宜しく速かに襲爵を請ひて、国人を鎮圧すべし。地方多事なるを以て、辞と為すこと母れと。甲午の冬に至り、使者于U等、京より回るの貢臣を迎接す。時に于U等、自ら世子尚寧の為に封を請ふ。福建撫臣許孚遠、海気未だ息まざるを以て議奏す、使を遣はし勅を齎して福建に至り、来使の面領を聴し、或いは慣海の武臣を遣はして、彼の国の使臣と同に往かしむれば、尚其れ虞無からんと。神宗曰く、世子の表請を待ちて、然る後、議の如く封を頒たんと。己亥春、長史鄭道等、封爵を襲ぐを請ふ。礼部議奏するに、今已に海氛甚だ盛んなり。但、該国の王舅・法司等官の印結と、世子の奏本とを取り具へて京に到り、即ち勅封を頒ち、必ずしも官を遣はさずと。神宗曰く、琉球既に来りて封を請ふ、宜しく廉勇の武臣一員を選び、同に往きて礼を行はしむべしと。庚子の秋長史蔡奎等、仍、襲封を請ふ。礼部右侍郎署尚書事朱国祚、奏して言ふ、琉球国は、東南に僻処して、世々職貢を修む。時、当に承襲すべきも、屡々倭警に遭ひて、延ユ今に至る。既に世子尚寧の奏請を経たり、相応に封を准すべし。其の該に用ふべきの皮弁冠服・紵糸等の項は宜しく例に照らして遣官に応付すべし。已に明旨を奉ず。但其の陳乞の情詞に拠れば、会典を投引して、必ず文臣を以て請と為す。惟聖明裁定せよと。神宗之れに従ひ、兵科給事中洪瞻祖、行人司行人王士禎に命じて、冊封正副使と為す。但、海氛未だ息まずして、未だ開洋に及ばざるに、瞻祖病を以て卒す。命ずるに兵科右給事中夏子陽を以てして之れに代ふ。乙巳の年、神宗、冊封正副使夏子陽・王士禎等に命じ、速かに渡海を作さしめ、以て大信を彰はす。仍りて本国に伝諭して、以後は海上に領封せしめ、著して定規と為す。時に、夏子陽等、勅を齎してメに至る。而して撫臣徐学聚、巡按方元彦とqに、浜海多事、警報止まざるを以て、前旨の如く、武臣を遣はして前み往かしめんと奏請す。夏子陽等具言す、属国の言、爽ふべからず、使臣の義、当に終り有るべし、乞ふ、堅く命を成して、以て遠人を慰めんことをと。神宗、之れに従ふ。是の年に至り、正使兵部右給事中夏子陽・副使行人司行人王士禎等、詔を捧げて国に抵りて、故王尚永を諭祭し、世子尚寧を封じて、中山王と為す。仍りて王及び妃に、冠服・綵幣等の物を賜ふ。既にして例に照し全く竣りて帰国す。