[本文0251]【宮古山に祥雲寺並びに神社を創建す。】遺老伝に説く、往昔の時、宮古島は、邪神妖魔、屡々世に出でて、大いに人民を悩まし、其の憂に堪へず。平良の地、志礼満の里に、平良大屋子なる者有り。嘗て中山に入り、公事已に竣り、那覇開船して回到せんとす。中洋ユかに逆風に遭ひ、漂ひて高麗に至る。而して言語通ぜず、容貌相異なる。高麗人、忽ち平良を擒へて、之れを几上に置き、将に其の頭を斬らんとす。平良潜然として流涕し、天を仰いで救を告げ、遂に指にて琉球の二字を地に書す。高麗人即ち球人たるを知り、縛を解きて之れを慰し、糧を給して贍養す。已に五年を経て、送りて北京に至る。又、逗留すること三年、琉球の貢使に値ひ、中山に帰来す。平良想ふに、已に其の苦難を逃れて命を全うし、以て帰るは、豈に天の庇に非ずやと。乃ち波上山大権現を請じて、帰りて故郷に至り、茅菴を創結して、之れを其の中に奉安し、以て崇信を為す。此れよりの後、悪魔退避して、敢へて人を悩まさず、一島泰平、四民安楽なりと。万暦辛亥、薩州の検察使、命を奉じて此の島に来臨して、田地を量丈す。回りて球国に至るや、検察使、国王に題請す。幸に其の請を准允し、神社並びに寺院を平良の地に創建す。其の寺を名づけて竜峯山祥雲寺と曰ふ。即ち達摩大師・釈迦如来を奉ず。蓋ふに陶瓦を以てし、大権現を奉移す。麗美輪奐なり。乃ち山月を延いて、以て開山住持と為す。