[本文0256]【二十六年、欽徳基、異人自了を生む。】欽氏、諱は可望、童名は真竈、首里の人なり。父、欽徳基(城間親雲上清信)、母は馬氏思乙金なり。始生より口唖、父母以て廃人と為し、教ふるに読書を以てせず。八歳の時、手を以て天日を指し、其の父に向ひて問ふこと有らんと欲するの状あり。父以て唖子と為し、故に態と之れに答へず。乃ち海山の絶頂に登り日の自りて出づる所の処を観、晨に往き暮に帰る。是くの如きこと月余、忽ち掌を鼓ちて大いに笑ふ。夫の天地旋転し、日月升沈するの理を得て、決意すること有るに似たり。是れより一事に遇ひ、一物を見れば、必ず昼夜思索を窮め、務めて其の故を得て後己む。類ね此くの如し。其の兄、鎗棒の法を学ぶ。自了旁より窃ひ観、尽く其の妙を得たり。後、兄、庭中に於て其の技を試むるに、自了之れを見て冷然として笑ふ。兄、怒りて曰く、汝、我を以て破綻する処有りとするや、或いは、汝、之れを能くするやと。自了棒を持して庭に下り、盤旋飛舞し、勢、矯矢游竜の如く、操縦すること法の如くならざるは靡し。其の兄、始めて愧ぢ服し、敢へて言はず。一日、里中の児と同に山に登り、一羊の高巌より墜下して死せざるを見る。自了眸を凝して思ひ、死せざる所以の故を黙想すること良久しくす。忽ち大いに悟り、遂に身を飛ばして岩を下る。衆大いに驚き、以て必ず死せりと為す。山を下りて之れを視るに、恙無し。其の弟、隣人の書を借りて、案の頭に置きしに、自了翻閲し畢る。弟、持ち去る。自了筆を索めて疾書するに、始末一字の錯落無し。臨池学帖を喜び、筆、竜蛇の如く、王右軍の遣意を得たり。善く図章を鐫り、刻画古朴にして、秦漢の風有り。尤も丹青に工にして、凡そ古人の墨跡は、ワ倣逼肖し、之れを古画中に雑ふるに、能く之れを弁ずる者有る無し。後、乃ち画を善くするを以て名を中山に得たり。王、之れを聞き、内廷に召し入れ、命じて画かしむ。凡そ山水・花竹・事ム、筆筆神に入る。王、之れを愛し、常に左右に侍せしめて、号を賜ひて自了と曰ふ。崇禎年間、冊封行人杜三策、中山に至る。王、自了の画を出して、留題を索む。杜公大いに称賞を加へ、之れを顧虎頭・王摩詰に比し、以て近代有ること無しと為す。今に迄るまで、字画流伝す。国中の人之れを得れば、重宝を獲たるが如くす。年十八、疾無くして逝く。葬して三日の後、塚開き尸脱して、唯、空棺に衣履を余すのみ。異香繚繞して散ぜず。惟独り自了の文章世に伝ふる無きを恨むのみ。其の父をして、教ふるに読書を以てせしむれば、則ち古文詞・詩歌必ずや能く往哲を追踪せしならん。しからざれば則ち、天、或いは之れに假すに年を以てすれば、閲歴久しくして、聡明生じ、未だ必ずしも詞藻の観るべきもの無からざらん。