[本文0260]【三十一年、始めて八巻冠を制す。】遺老伝に曰く、昔時は、乙女三尺の布を以て、頭に纒ひ八重巻にして以て冠と為す、故に八巻と曰ふと。是の年、王、久高島に幸し、行きて中途に到り、忽ち大雨に遇ふ。群臣の衣冠、尽く湿れて萎す。独り蕭元瑞(仲地筑登之名礼)戴く所の冠、湿貌有る無く、群臣の冠と異り、敢へて凋萎せざること有り。王、之れを奇異とす。但、蕭元瑞の八巻冠のみ、板を曲げて質地と為し、布を組みて皮と為すこと有り。王、深く之れを褒美す。即ち群臣をして、僉、此の八巻冠に倣はしむ(神道記に曰く、本、一丈三尺の布を以て、頭に纒ふ。而して分薙国、八巻を改造すと。分薙国は乃ち黄自昌脇名国親雲上吉治なり。未だ敦れか実なるを知らず。此れを以て之れを考ふるに、今、八巻は黄自昌に始まり、而して蕭元瑞之れに次ぐならんか)。