[本文0262]【首里の向益国、鬼語を聞きて以て其の子孫に告ぐ。】万暦年間、向益国(越来親方朝上)、一日、巡りて各処に至り、花梢(俗に花具と叫ぶ)を取り来る。帰りて牧港杠に来るや、偶々驟雨に遇ふ。日は西山に落ち、将に黄昏に至らんとす。雨を墓前(其の橋の北面に在り)に避く。忽ち墓外より訪を告ぐるの一声有り(俗に御左右来と叫ぶ)。即ち墓内よりも亦、応ずるの一声有り(俗に誰と呼ぶ)。又、墓外に声有りて曰く、予、今、燃眉欠乏せり。是れに由りて、前日、汝借る所の銭、以て使用せんとし、屡次催促すれども而も未だ償還を見ず。目今に至りて、欠用已に甚だし。請ひ乞ふ、早速返給して其の欠乏を補はしめんことをと。又、墓内声有りて曰く、予、以て火速に奉償せんとすれども、銭宝有ること無く、而して俟延已に久しく、今、予、罪を獲ること已に多し。請ふ、其の罪を宥さんことを。予、本月の間、回忌の期に当る。想ふに子孫、紙を焼きて祭ること有らん、必ず其の時に於て、以て奉償を致さん。伏して乞ふ、数日を延寛して、以て全恩をヨはんことをと。此れよりの後、寂々寞々として一声有ること無し。向益国深く之れを奇異とす。此の時、雨又暫く晴る。即ち牧港村に到り、墓の主人を問ふに、村人曰く、其の墓の主は、今、仲間邑に在りて、名を西原と称すと。向益国、又往きて他の村に至り、其の子孫を訪ひて、細さに告ぐること一遍。西原涙を流して曰く、亡父の忌日は、君の語と稍しも相異らず。然れども子孫素より窘迫して、倚りて告ぐる無く、不孝にして深く祭祀を供する能はざるを恨むと。而して哭涙雨の如く、敢へて少しも止まず。向氏即ち米銭を発給して以て貧欠を済ふ。西原深く之れに拝謝し、其の忌日に当り、謹みて祭品を供へ、以て祭祀を致す。其の夜、霊夢有り。細さに西原に告げて曰く、深く向公の鴻恩を蒙り、祭品甚だ厚し。況んや復、前に人に借るの銭、屡々催促を被り、延きて数旬に至るも、以て送還し難く、羞愧最も深し。今日、其の祭銭を以て全く償還を為し、以て安心を致すをや。汝、明晨必ず向が府に往きて以て謝恩を致せと。翌日、西原、早く首里に往きて向公に拝謁して、霊夢を告説し、深く拝謝を為す。此れよりの後、西原の子孫、毎年神酒を製して向が府に献じ、以て鴻恩に報ず。是の故に、今、其の墓を呼びて御左右来墓と曰ひ、又、被催賃墓と称す。