[本文0381]【久茂地邑を創建す。】唐栄の東に一田圃有り。恒に禾麦を播き、曠々たる荒野にして、居民有ること無し。但、内金宮前に僅かに数家有り。但し那覇官の管する所なり。康煕丁未、紫金大夫金正春(城間親方)、題して王命を請ひ、宅を営み邑を建つ。而して唐栄に属せしむ。其の地に、嘗て一寺有り。名づけて普門寺と曰ふ。故に其の邑を叫んで普門寺と日ふ。雍正乙卯の夏、名を改めて久茂地と曰ふ。