[本文0422]【始めて戊土樹を若狭町の地に栽す。】那覇新村渠の地は、旧真和志郡花城邑に属し、茫々たる海浜にして、樹木有ること無し。東西海に臨みて、暴風に遭ふ毎に、房屋を吹壊せられ、以て棲居し難し。順治年間、牛似廉(花城親雲上秀咸)、已に花城地頭職に任ずるの時、戊土樹(俗に枯葉手樹と呼ぶ)数根を其の地に植ゑ、村邑を抱護して、以て風濤の難を防ぐ。