[本文0458]【東光寺を俗家に売り為す。天順年間、那覇津東南の隅に夜々十二の異光有り。高く碧天に沖し彩色波を照す。尚泰久王、遙然として之れを見、大いに奇とし且怪とし、ト人をして之れを占はしむるに、曰く、奇なるかな、瑞なるかな。夫れ薬師の十二眷侍有りて、必ずや薬師、此の十二霊光を発出する者ならんやと。一日、一漁父の撤網して魚を捕ふる有り。料らずも網内一奇石を獲たり。仔細に之れを視るに乃ち薬師像なり。其の後霊光遂に止み、復光を放たず。漁父之れを奏す。王、特に輔臣に命じ、即ち其の津中に於て石を築き宅を闢きて一寺を創建し、堤を築き杠を架して以て往来を通ず。而して之れを其の中に奉安し、之れを名づけて東光寺と曰ふ。即ち禅家の僧をして此の寺に住持せしむ。後亦聖家の僧に賜ひ、以て隠居寺と為す。後世に至り、唐船塘を鑿作するの時、其の土塊を将て其の海を覆填し、以て宅地と為す。是の年、覚遍座主、却って其の寺宅を将て俗家に売与し、復、地を若狭町松山の麓に卜し、堂宇を設建す。未だ告成を見ずして覚遍入滅す。康煕壬戌、頼賢題奏し、其の薬師を頂峯院に奉安す。】