[本文0466]【始めて恩納・大宜味・小禄・久志等の四郡を置く。】本国の郡邑、田地甚だ広く、人民も亦多き者は、分ちて二郡と為す。其の金武郡内の四邑、亦読谷山の八邑を将て、合して恩納郡と為し、始めて向弘毅(大里王子朝亮)・毛国瑞(佐渡山親方安治)に賜ふ。後亦新に一邑を設け共計十二邑なり(二邑は合して一邑と為す。此の故に此くの如し)。国頭郡内十一邑、羽地郡二邑、合して田港郡と為し(後、名を大宜味に改む)、始めて向象賢(羽地王子朝秀)・向日躋(屋嘉比親雲上朝茲)に賜ふ。後亦新に四邑を設け共計十六邑なり(二邑は合して一邑と為す。此の故に此くの如し)。真和志郡内三邑、豊見城郡八邑、合して小禄郡を置き、始めて向煕(金武王子朝興)・毛文祥(小禄親方盛聖)に賜ふ。後亦新に四邑を設け共計十五邑なり。金武郡内二邑、名護郡十邑、合して久志郡を設け、始めて尚経(豊見城王子朝良)・顧思敬(久志親方助豊)に賜ふ。共計十二邑なり。