[本文0546]【八重山の海鳥、人恩に啣謝す。】西表島の民、名は郡辺と称するもの、一日独り稲秧を負ひて名嘉良地に赴き、行きて浜崎に到る。北風厳烈にして寒気甚だ極まる。時に一海鳥(俗に多武知也久と呼ぶ)有り。将に魚を謔閧ト以て吃はんとす。海魚、鳥をきて以て潮中に入り、相拉して互にツき、海鳥溺死に幾かし。那辺、忽倏として之れを看、此の鳥を撈収して之れを岩下に搬び、火を焼きて之れを煖め、魚を切りて給吃す。遂に之れに嘱して曰く、嗣後、汝、危事を為す勿れ。切に慎惧せんことを要むと。再三吩咐し、以て放飛に便す。是れより以来、那辺、田野に往還するの時、海鳥、魚を謔ヨて那辺に給与し、以て其の恩に報ゆ。此れに因りて他の児孫皆我が鳥と叫ぶ。孫子に至りても、屡々此くの如きの事有り。