[本文0547]【竜福寺の獅像の腹内に、現に稲穀を存す。】遺老伝に説く、往昔の時、此の獅像屡々寺外の田地に行きて稲穀を吃ひ尽す。農夫深く之れを憂ひ、往きて其の田畝を見るに、獅蹄の痕、地に印する有り。農夫甚だ之れを奇怪とし、転じて寺内に至りて其の獅像を視るに、腹脚淤泥あり、厳然として活獅の蹲居するが如し。衆農夫、僉、以て題奏す。王、田地七畝を賜ひ、寺院に附して以て獅像の養に供せしむ。而して後、獅子敢へて外に出でて稲穀を吃ひ去ることあらずと。今世に至り、其の地は寺中に属し、俗に獅田と叫ぶ。是の年、纔めて修葺を加ふ。時に身体渾全にして稍しも間隙無きも、而も其の腹内に稲皮の猶存する有り。奉行向良俊(儀間親雲上朝武)・大工渡嘉敷等、皆之れを観見して、大いに驚き且異しみ、以て住僧勝林等に告ぐ。人民皆聚り来りて親しく之れを見るに、果して其の言の如し。奇怪とせざるは無し。