[本文0565]【小波蔵邑、屡次災殃し、乞ひて其の田畝を還す。】真壁郡小波蔵邑に数畝の田地有り。往古の時より、以て神根所の田たり。毎年の祭祀は、必ず其の田地の稲穂を取り、例として神前に薦む。康煕甲寅に至り、再び経界を正すのとき、其の田畝を取りて高嶺郡に授給し、以て仲城里主地と為す。此れよりの後、根所の人家屡々火難に遭ひ、或いは人民夭死し、或いは畜獣忽ち斃る。数年の間、祭祀の日に当る毎に、屡々災殃有り。而して家財窮乏す。是れに由りて康煕庚午年、郡邑の人、恭しく呈文を具し、乞ひて真壁郡に還す。而して災殃自ら息み、民人相安んず。