[本文0592]【二十七年、臨海堤並びに橋二座を改修す。】嘉靖年間、那覇に汪農大親なる者有り。常に此の地に遊びて以て光景を観、亦賊兵の為に劫せらるるを恐れ、高く雉ル(俗に三重城と称す)並びに堤塘を築きて以て防禦に備ふ。其の堤の橋数座は、原、板杠たり。康煕甲戌秋七月間、颶風ユに作り、海潮の為に破られ、尽く平沙と成る。是の年重ねて修葺を加へ、丙子年に至りて成を告ぐ。時に石橋に改築し石を竪てて欄と為し、以て海門の壮観に供ふ(臨海堤に、原、三橋有り。清風明月に騒客・漁人多く此の橋に集まりて以て酒宴を為し、名を得ること最も著し。俗に中橋と呼ぶ。明朝の末、其の東橋を塞ぐ。但、中橋・西橋のみ今亦改修す)。