[本文0613]【久米島仲里地頭代嘉手苅、江水を引きて田水を補ひ、以て後世に利す。】仲里間切儀間村・嘉手苅村は、田地狭くして瘠せ、稍しく颶旱に値ふも、便ち賦数を欠く。蓋ふに、百姓受くる所の田地内に、嘉作佐意原併びに戸意原の水田有りて、米百石を出すべし。又嘉陽田原及び為川原の水田有りて亦米百五十石を出すべし。倶に是れ水少くして涸れ易く、天旱に遭ふ毎に耕して獲る無く、大いに民疲を致す所以なり。茲に嘉手苅(人名)、地頭代職に任ずるに因り、苦めて良策を生み、始めて土堤を山田川の下に築き、以て派流を障し、其の匯る所より溝を開きて水を引き、其の百石を出すべきの田水を補ふ。次に亦前の法の如くして以て里中川の下流を引き、其の百五十石を出すべきの田水を補ふ。此れより毎年、貢賦欠かず、百姓永く其の利を受く。