[本文0625]【三十一年、毛承翰、泊高橋を改修す。】西北諸島、中山に事有れば、皆此の地に泊す。故に其の地を名づけて泊邑と曰ふ。其の杠を叫んで泊高橋と曰ふ。是の年、雨暘時に若ひ、百廃具に興る。竟に斯の杠の、久施の設に非ざるを以て、毛承翰(佐渡山親方安村)・曹憲(神谷親雲上慶重)等に令して、石橋に改修せしめ、以て海門の観瞻を壮にす。