[本文0628]【宮古山に観音堂を創建す。】宮古島仲保屋の里に、新里与人なる者有り。嘗て中山に入朝し、帰来の時に至り、乃ち観音像を請来して、之れを家中に奉じ、以て尊信を為す。新里病卒するや、其の孫砂川大屋子、祖父の志を継ぎて其の像を崇信し敢へて怠慢せず。康煕甲子の夏、亦中山に入朝し、別に宮堂を建てて、以て祈福の事を為さんと題請す。幸に兪允を蒙る。回りて本島に至り、将に工を起して修造せんとするや、病に染みて卒す。壬辰の年、祥雲寺住僧道林、材を聚め、工を鳩めしも、道林も亦病に罹りて遷化し、而して成を告ぐること能はず。是の年、住僧江外、村人に募化し、資財を喜捐して此の堂を創造して、此に奉安す。