[本文0648]【毛光炳、真玉橋を改修す。】豊見城郡保栄茂邑に、伊隆徳(大嶺親雲上忠雄)なる者有り。嘗て王都に事へて、屡々此の地を経たり。大風猛雨に遭ふ毎に、舟楫泛び難くして人敢へて渉らず。隆徳即ち水に浮びて過ぎ去り、其の政事を将て之れを朝廷に奏し、朝夕勤苦して敢へて稍しも懈らず。王、深く、之れを褒嘉し、特に官爵を賜ひ、並びに首里に移居せしむ。厥の後、王、隆徳に命じ、木橋五座を督造せしめて、以て往還を通ず。近世に至り、両岸辺の地に、人、田圃を為る有りて、北南二橋を塞ぐ。江狭く水浅くして、洪水横流し、橋堤敗壊し、淤泥穢土、尽く那覇港に入る。王、毛光炳(高嶺親方盛富)に諭し、其の岸辺の田圃を禁除し、旧堤を補葺して、石を架して橋と為す。