[本文0655]【[附]那覇の大嶺、始めて墨塊を製す。】康煕年間、若狭町邑に大嶺なる者有り。往きて中国に至り、已に造墨の法を学び、悉く其の徴奥を伝へて帰来す。尚純王、之れを聞きて大いに悦び、遂に汀志良次邑の宮城をして、大嶺に従ひて学習せしむ。我が国の造墨、此れよりして始る。