[本文0659]【津波邑国吉の妻、久しく墓に在り。】仲城郡津波邑に、国吉なる者有り。其の妻年四十三歳、是の年の冬十月の間、深く胸悶症に染み、医を請ひて服薬す。十二月初三日の夜、人皆睡去するを候ひ、外に逃去し、而して其の去る所を知らず。親族大いに驚き、往きて四境に到りて之れを探問するも、踪跡有ること無し。翌年正月初五日、人有りて田畝に耕耘す。忽ち暴雨に遭ひ、即ち一墓に往き(楽承敦安里親雲上昌房の墓、和宇慶邑の西に在り)、以て雨を避くるを為す。時に墓内に人息の声有るを聞く。其の人深く之れを奇異とし、墓門の隙処より、密に之れを偸窺するに、果然人有りて、棺に倚りて睡る。即ち邑に往き人を呼びて、熟々之れを看見す。其の墓門開かず、但一小孔有りて、其の何処よりして入るかを知らず。即ち門を開きて救出するに、即ち国吉の妻なり。其の面目活動して、気亦未だ絶えず。先ず黄土を以て水に和し、其の口中に灌ぎ入れ、次に粥湯を以て、漸々之れを食せしめて、数日に至り醒めて活生す。乃ち之れを間ふに、只言ふ、寝るが如くして醒め、全く知識する所無しと。延いて雍正丙午に至り、偶々一病に羅りて死す。