[本文0671]【翁能哲、往きて糸綿及び楮紙を製造するの法を久米・粟国・渡名喜等の島に教ふ。】本国将に冊封を請はんとするも、国貧しく民乏しく、資財欠少す。是れに由りて、其の費用を預備するが為に、那覇の翁能哲(富村親雲上盛友)、命を奉じて久米島に到り、彼の人民をして桑樹・榕樹・宇祖古樹等を用ひて、楮紙を製造せしむ。翌年に至り、亦粟国・渡名喜二島に到り、巡りて地の宜しきを相し、遍く桑を植ゑ蚕を養ひ、以て糸綿を作るの法を教ふ。久米島、樹皮を用ひて紙を作り、粟国・渡名喜島、蚕を養ひて綿を作るは、此れよりして始まる。