[本文0724]【特に白銀を欽兆鳳・房弘徳・査王蚕・知念等に賜ひて、紙を造るの器具を備へしむ。】首里の欽兆鳳(祖慶筑登之親雲上清寄)・房弘徳(比嘉筑登之親雲上乗昌)・査王蚕(仲宗根筑登之親雲上真秀)・知念掟親雲上は、皆是れ性巧人に過ぐ。康煕丁酉の年、相議して巧を合せ芭蕉紙を創造し、以て国用に応ずるに足る。只、造紙の器具の未だ備らざるを愁ふるのみ。是に于て、特に銀子二百両を賜ひて、其の器を備へ、及び一宅を山川村に設けて、造紙の所と為さしむ。併せて草房三個を賜ひて、以て之れを勧む。此れより公用欠かず。遂に其の法を宮古・八重山・大島に伝ふ。又、雍正甲辰の年、房弘徳、色半紙・広紙を創造す。其の丙午の年、奉書紙・高檀紙・百日紙を創造す。其の辛酉の年、藁紙を創造して、以て国用に供す。