[本文0728]【西表島与那田橋を改修す。】八重山西表邑に、一大川有り。川水の勢、汪洋湃し、流れて海に注ぐ。而して人皆徒渉して往来す。前任頭役長栄氏(石垣親雲上信明)、人の坎難を軫念し、始めて木杠を瀬田盛崎に設け、之れを名づけて与那田橋と曰ふ。而して其の崎は甚だ海に近く、或いは風波の壊す所と為り、或いは虫の為に害せられて、屡修の夏に堪へず。是の年、山陽氏(古見首里大屋子長休)・文明氏(慶田城与人昌在)、に憲令を奉じて、彼の島に来到し、基址を移築して、改めて石橋を建て、以て往還を通ず。此れよりの後、人民屡修の苦を見る。