[本文0729]【都通事毛士達、能く忠義を操り、以て飄至の難人を送る。】浙江寧波府定海鎮標左営管隊王金枝等三十七人、太平山に飄到して、船隻を打破し、中山に送り来りて、泊御殿に安插す。都通事毛士達(許田親雲上子明)、命を奉じて護送使と為る。此の時、御在番奉行并びに摂政・法司、人をして盤詰せしむるに、只言ふ、官兵なり等語と。而して多く軍器を帯び、已に文馮無し。是れに由りて、皆賊盗なるかを疑ひ、商議未だ決せず。乃ち士達を召して曰く、其れ文馮無し。兵賊弁じ難し。船中に禁錮して、以て解送を為さば何如。鬆放して解送せば、汝等他の害する所と為ること有るを恐ると。士達曰く、海賊盗人なれば、以て囚へて解るべきなり。若し官兵の巡哨する者、敢へて擅に之れを擒囚し、以て不恭を天朝に致さば、則ち我が国の不便を弄出せん。我、厚く国恩を蒙る。頂を摩して踵に放るも、万に一も報じ難し。願くば優待して護送し、却って他の害傷に逢ひて、死すと雖も恨みずと。鎮守官員等、皆其の言に従ふ。既にして、副通事梁得志(外間通事親雲上)とqに、那覇開船し、馬歯山に到る。次晩、颶風忽ち起り、波濤大いに湧く。夜に向ひて倍々猛し。遂にロ索を纈fして礁頭に擱搭せり。其の有る所の兵丁人員、胆寒く心裂け、慌忙大いに驚きて、身を飛ばして下り、海洋に浮沈す。士達急ぎ之れを止めて曰く、天昏く浪大にして、未だ東西を知らず。今、性命を全うするを求めて、却って命を損すること有り。暫く船隻半破して水に浮くを待ちて、岸に上るも、未だ以て晩しと為さずと。兵丁を招来して、聚めて一処に坐せしめ、屡次強諫するに、多く其の言を聴きて、船上に留在す。幸に天明に至り、風波稍々止む。即ち兵丁人名を点査するに、爰に、副通事一員・兵丁四人・水梢二人共計七人、既に海に下りて溺るるを知る。急ぎ使を遣はして其の事を報明す。御物奉行向竜翼(富盛親方朝章)等、馬歯山に来到して、本船を修葺す。又、全文亨(岸本筑登之親雲上本賢)、司贍養大使と為りて、来りて梁得志に代る。厥の後、彼の地開船して福州に赴き到る。而して王金枝等、皆本籍に帰る。時に請封の期に逢ひ、天使メに至る。例として応に両位なるべきに、今番、外に測量官両位を加ヘ、共計四位、将に本国に至らんとす。若し我が船、先に帰りて、其の事を禀明せざれば、冊船一たび到りて、我が国は必ず不意に出でて、事預じめ備ふること無く、以て舛誤を致すこと有るを恐る。便ち、耳目官・正議大夫、衆官と相与に商議して、急に船器を修め物件を収拾して、五月初六日、メより開船す。初十日、帰国復命し、並びに其の勅使四位、将に以て国に低らんとするの事を禀明す。是れに由りて、公館等の事件を準備して、以て迎接を為す。後年に至り、許田地頭職を賞賜す。士達、病に罹りて世を棄つるや、深く褒書を蒙り、其の地頭職を将て、其の嫡景成に襲賜し、以て旌表を為す。