[本文0739]【向秉乾、柔遠駅を修葺するの費銀、毎年三十両を寄るの例に改定す。】往昔の世より、琉球柔遠駅を修葺するの費銀は、進貢して中華に入るの時、庫官、五主・水梢等を率領して、先づ駅館に到り、修葺完竣して、上下の員役、館駅に安插す。其の費用銀三百両なり。接貢の時に当りても亦然り。其の費用銀一百五十両なり。然れども費銀甚だ多し。向秉乾(当間親雲上朝斉)、耳目官と為りてメに在るの時、乃ち門使呉天統を召して曰く、今番、庫官をして大いに修葺を加へしむ。此れよりして後、毎年、汝に三十両を寄授せば、球船未だメに入らざるの暇間、預め修葺を加ふること如何と。天統、其の命に従ふ。爾よりして後、本国多く利有り。是れに由り、永く著して例と為す。