[本文0747]【平良村の津花波、夫地頭職に再任して績有るを褒美し座敷位を賜ふ。】西原間切平良村の津花波親雲上は、幼にして孤なり。十歳より以て蕃薯を掘採するを己の職と為す。或いは採ること少なければ則ち失職と為し、先づ母姉兄弟に進めて、止、其の余を食すのみ。十九歳に及び書算を識らずと雖も、而も才智衆に出づ。諸吏挙げて末吉掟と為す。四十九歳に至り地頭代と為り。而して津花波夫地頭職に任ず。本村は田多く民少くして以て疲る。而して欠く所の賦、借る所の穀は、共計乙百五十石にして、如何ともすべき無し。津花波親雲上、乃ち民口を計りて其の倉田を留め、其の余田を租す。其の租を以て欠を補ひ債を償ふ。此れより本村復興す。年五十歳にして役を辞す。五十二歳、又地頭代役と為り、田川夫地頭職に任ず。原来、西原公駅は、茅を以て之れを蓋ひ、修葺に勝へず。是に於て改めて瓦蓋と為し、以て間切を利す。又庶民を激励し、其れをして、力を竭くして、以て農業を勤めしむ。乃ち勢頭位を賜ふ。六十四歳、又夫地頭職と為り、終に座敷位を賜ふ。七十歳にして老を告ぐ。