[本文0762]【真喜屋村の古我知、米を出して、以て本村及び仲尾次村を済ふ。】羽地間切、真喜屋村の吉我知親雲上、幼時貧家にして、苦めて書算を学ぶ。年十六に及びて若文子と為り、漸く諸吏を歴て、職は夫地頭に終る。就中家を起し、以て父母を養ひ、其の天年を終へしむ。嗣後家富み、義を好みて、屡次賑済す。是の年、歳凶にして亦真喜屋・仲尾次の百姓を助け、各戸に二三升を給米す。