[本文0868]【首里の翁欽忠等、庇謝橋を改修す。】北谷・読谷山の間に、一大川有り。往古以来木杠を設け為り、以て往来を通ず。名づけて庇謝橋と曰ふ。然り而して壊れ易く、爛れ易く、屡々修葺を加ふ。康煕丙申、改めて石橋二座を修し、其の北杠二座は、未だ尽くは之れを改めず、姑く旧貫に仍りて、之れを攻め、之れを修す。是の年に至り、五穀豊登し、四民鼓腹す。遂に斯の橋、久施の設に非ざるを以て、王、翁欽忠(宮城親方忠真)、馬文彬(富島親雲上良連)等をして、石橋一座を重修し、且、北杠二座も石を築きて改修せしむ。茲よりの後、人民修造の役を免る。