[本文0922]【勢理客邑諸喜田・湧川等、水溝を決開して田畝に注入す。】今帰仁郡真喜屋原に一田畝有り。其の田は米五百石を出す。旱魃の時に遭ふ毎に、泉の注ぐ有る無し。而して田地乾涸し、五穀未だ登らず。民甚だ之れを憂ふ。勢理客邑地頭代諸喜田・夫地頭湧川等、相共に商議し、水溝八百余歩を鑿開し、即ち与志古土川の水を引いて、真喜屋の田に灌入す。此よりの後、恒に満田の水、溶溶漫漫として、旱魃を憂へず、稲穀豊登す。