[本文0936]【十九年、蔡宏謨・翁国材、始めて石灰を焼く。】古より以来、本国の船隻、皆螺灰を用ふ。是の年正月、蘇州府鎮洋県の商船壱隻、本国赤丸崎に漂到し、引きて運天港に到る。其の難人呉自成、能く石灰を焼くの法を知る。是れに由りて、副通事蔡宏謨(久高里之子親雲上克定)・御評定所筆者翁国材(伊舎堂里之子親雲上盛孟)、憲令を奉じ、其の焼法を学ぶ。随ひて即ち、陶窯を運天邑に作り、以て石灰を焼く。其の焼費甚だ減じて、灰品更に好し。此れよりの後、本部・今帰仁両郡、皆此の灰を焼き、毎年、焼きて公庫に納む。是れに由りて貢船及び楷船、皆石灰を用ふ。