[本文0942]【始めて宮古の長間に与人及び目指役を置く。】雍正乙巳の年、其の宮古島大神邑の人、七十二名を将て、長間の地に移居し、以て一邑を設く。此の時、他の邑の与人・目指、其の事を兼理す。然れども大神邑の田地甚だ狭く、只海に出でて魚を漁るを恒に事業と為す。此の邑に移ると難も<雖も>、仍漁魚を嗜み、力を田畝に尽さず、而して人民貧苦して、多く飲食を欠く。是れに由りて題奏し、他の邑の人民二百余名を将て、亦此の邑に移居し、即ち与人・目指を設置して、以て勧農整俗を為す。