[本文0951]【毛鴻基・童能秀等、報得橋を改修す。】兼城邑の東に一長江有り。名づけて報得川と曰ふ。其の源は、東風平村より出づ。且東西の間、群山深谷の諸水、皆斯の江に注ぎて海と相通ず。況んや山南の人民、首里・那覇に事有る者、此の地に由らざる莫きをや。是れに由りて、古より杠を設けて、以て人民を済す。然れども、暴風洪水の時、未だ屡次の傾窒免れず。王、毛鴻基(奥平親方安三)・童能秀(安仁屋親雲上長義)等に命じ、石橋一座を改修し、別に小両口を開きて、諸水を吐出し、以て往来に利す。而して人民坎難の苦を免る。