[本文0957]【八重山桃里村を創建し、石垣・登野城・平得・宮良・白保等の民人を分移す。】八重山石垣・登野城・平得・宮良・白保等の五村は、田地甚だ狭く、食用屡々欠く。本島の属地に一曠野有り。名づけて多宇田と叫ぶ。泉甘く土肥え、宜しく五穀を種うべし。五村の百姓、尽く此の地に往きて耕鋤し、以て日度を為す。然れども各村を離るること四里の外に在り、往還甚だ労す。是れに由りて、在番官・酋長呈請して、各村の民人七百余名を分けて此に移居せしむ。乃ち之れを叫んで桃里村と曰ふ。因りて与人一員・目差一員を設けて、総理せしむ。