[本文0978]【久米島の上間・安里、始めて馬艦を造りて深く褒嘉を蒙り、直ちに筑登之に陞る。】原来、久米島は馬艦船隻を修造することを知らず。只本島の船を用ひて、中山に来往す。然れども馬艦の往来自由なるには如かず。是の年に至り、本島仲里間切比屋定村の上間・具志川間切山里村の安里両人、相共に中山に航し、船工師古波蔵に随ひて、悉く馬艦を修造するの法を伝授す。此れより海上の往来には、風を迎へ波を衝きて、一虞有ること無し。是れに由りて、惣地頭官、此の縁由を具して、以て朝廷に奏す。故に位を賜ひて以て褒す。