[本文0998]【始めて茶園を棚原山地に闢く。】素より茶樹有り。製法未だ精しからず。只、粗茶を出す有るのみ。首里の向秀実(知名筑登之親雲上朝宜)、雍正辛亥、貢使に跟随して已に福州に入り、茶葉を製造するの法を伝授し、及び自ら製茶の器物を帯びて、帰りて本国に至る。誠に茶葉を製するに、則ち清明・武夷・松羅等、馥気鼻を撲ち、味も亦甘美にして、中華の茶と稍しも相異ならず。是の年に至り、恭しく呈文を具し、茶樹を棚原の地に栽植し、以て国用に供するの事を題請す。幸に兪允を蒙る。茲に棚原山地内(共計二万八百五十余歩)を闢きて、遍く茶種並びに杉樫等を植ゑ、茶樹芽萌の時に当りては、和漢の茶葉を製成し、以て国用に供す。