[本文1003]【野嵩邑の島袋、賦性至孝にして、幸に褒嘉を荷く。】宜野湾県野嵩村に宮里なる者有り、一男一女を生養し、常に田畝を耕して以て産業を為す。家已に貧苦にして、以て日度し難し。此の時男児島袋、双角幼稚にして、未だ曾て成童ならず。一日父母に向ひて曰く、人、富以て栄と為し、貧以て憂と為すべからず。而して今、父母困窮甚だ極まる。願はくは、児が身を売りて、以て日用の炊食を済へよと。父母曰く、然り、予、餓餓の時に当るや、屡々汝が身を売去せんことを思ふも、只汝、幼稚にして他家に寄托せられ、未だ家主に伺候する能はずして、杖梃を受けんこえを怕れ、敢へて売去せざるなりと。父母痛哭して再び語ることを得ず。嗣後父母の愛情已に深し。延きて数月に至るも、果し行ふこと能はず。島袋曰く、世上の間、前に巨富と為り、後に貧苦に変ず。古、人の僕と為り、今、家主と為る者、屈指するに勝へず。而して今、幼児をして人の僕と為らしめば、必ずや数年を閲せず、身を贖ひて回り来り、以て父母を養はん。請ひ乞ふ、父母早く児が身を売りて、以て日資と為せと。再三之れを勧め之れを強ふるも、父母、亦果し行はず。島袋自ら、首里西平州に走り、身を毛家に売りて、以て賑救を為す。而して島袋、昼夜乾|して、心を尽し力を竭し、能く家主に事へ、僕輩に和睦し、稍しも乖の志無し。家主、他の誠実、群僕を抜くを見て、深く之れを奇異とし、亦深く之れを褒美し、其の価銭を要めず、他の身を他の家に還さしむ。島袋は則ち心を田畝に尽し、以て父母を供養し、父母の心をして常に以て悦愉を為さしむ。且一妹有り。前に身を他家に売り、父母常に以て之れを憂ふ。島袋亦深く之れを憂ひ、千計万慮、労苦を憚らず、価銀若干を求め得て、其の妹を贖ひ得、以て父母の心を安んず。父母年已に老衰し、出入起居には必ず扶持を為し、晨省昏定、敢へて怠慢せず。朝夕の飲食は、預め其の欲する所を問ひ、必ず其の供する所を嘗めて、以て之れを奉進す。冬天厳寒には、深く父母の凍冷を懼れて、身以て其の被褥を煖め、夏天の烈暑には、又父母の炎熱を畏れ、扇以て其の枕y草を涼しくす。或いは公務有り、或いは勾当有りて赴いて外に行くに及びては、事の大小を論ずる勿く、路の遠近に管せず、其の終始を将て、父母に告知し、反り来るの時も亦以て此くの如くす。或いは珍味甘脆の物を見れば、必ず懐にして回り来り、以て父母に供す。或いは山野に往き、或いは耕耘に出づれば、則ち夫婦輪流して、膝前に侍坐し、頃刻の間も敢へて父母の側を離れざるなり。島袋夫婦は、能く父母の心を安んじ、能く父母の体を養ひて、善く孝順の道を尽くす。父は年八十余六歳、母は年七十余二歳にして、以て天年を終へて世を棄て逝去す。此の年に至り、已に数載を経るも、臨終追遠して、哭慟すること已に甚だしく哀愴且極まる。死に事ふること生に事ふる如く、礼祭又隆崇、始より終に至るまで、稍しも相異なる無し。隣里の老弱皆以て感信し、親戚昆弟、相異を為さず、皆孝人島袋と称す。而して今、家庭豊饒、費用甚だ足る。竟に其の事を以て聖主に上達し、島袋夫婦、褒嘉を荷蒙す。島袋に白布二端・糸綿一把・花夏布二端を賞賜し、卯辰二年の間、毎月男夫拾名を賜ふ。亦其の妻に白布二端・糸綿一把を賜ふ。名を四境に馳せ、門廷栄華す。