[本文1026]【蔡法司、諸郡の山林を巡見して、村を各処に移す。】国師、法司蔡温(具志頭親方文若)、御物奉行毛鴻基(奥平親方安三)・高奉行東景仁(天願親雲上政房)を率領し、諸郡の山林を巡見す。而して羽地山林内呉我・桃原・我部・松田・振慶名等の村、名護山林内山入端村、本部県崎浜・石加波・健堅・辺名地等の村は、一処に集在して、農地最も狭く、動もすれば山林を焼き以て農地に供す。今帰仁山林は甚だ狭し。乃ち呉我村等五邑を以て、山林外に移徙して、其の山林の地は今帰仁県に属せしめ、其の邑は、仍、羽地県に属せしむ。翌年の春、亦山入端村を以て、安和・兼久に移徙す。国頭県奥村より安田村に至る路程四里、安波村より久志県川田村に至る路程七里は、倶に山林の隔つる所と為りて、往来最も苦し。茲に地を奥村・安田村の間に択び、村一座を建て之れを名づけて楚洲村と曰ひ、以て国頭県に属せしむ。安波村・川田村の間に、村一座を建て之れを名づけて太鼓村と曰ひ、以て久志県に属せしめ、以て往来の便を為す。且、杣山法式一冊・奉行規模一冊を編修し、恭しく聖覧に備へ、杣山奉行三員をして、能く其の法を行ひて其の伝を拡めしむ。