[本文1086]【当銘村の当銘は、家に在りて孝を尽くし、村に於て功有るを褒奨し、黄冠位及び賞物を賜ふ。】東風平間切当銘村に一孝人有り。名を当銘と曰ひ、位は筑登之を拝す。人と為り篤実にして善く父母に事ふ。出入には必ず告げ、以て其の心を安んじ、衣食は必ず其の欲する所を請ひて、力の及ぶ所、未だ嘗て供せざるあらず。父母些かの病有れば、親ら湯薬を奉じ、或いは神酒を作り、或いは餅イを買ひて側に備へ置き、意に随ひて進む。父母年老い、其の寒に怯ゆるを恐れ、毎冬炭火を供して以て緩む。曾て世持富家来役と為り、値日には城に進む。父、橘菓・鰻頭を嗜むに因り、必ず蕃薯を携へて城に在りて自ら食し、其のウ糧を傾くるや、価に変へて、菓饅を買ひ来りて之れを進む。偶々珍味を見れば、或いは買ひ或いは乞ひ、之れを懐にして進む。雍正十一年、父病むや、旁々良医を求めて以て病を養ふ。内、母亦病を得、数日ならずして病勢倶に重し。当銘、側を離れず、七箇月を経て未だ些かの怠り有らず。竟に母先づ亡し、父悲哀して病を加ふ。当銘万慰千撫し、乃ち其の稍々予んずるを得たり。此の時、一女の嘉那と曰ふ者有り。落ちて人奴に在りて年四十余歳なり。父之れが為に嘆く。即ち之れを贖ひて以て其の憂を解く。未だ幾くならずして父の病又発して勢危し。時に嘉那も亦病を得。当銘其の病を兼養し、昼夜衣帯を解かず。父の亡きを憐みて其の後三日、嘉那も亦死す。倶に厚く之れを葬る。皆豊かに之れを祭る。兄弟親戚に至りても、貧窘なる者有れば屡々助くるに資を以てす。其の婚祭の類の如きは意を加へて助を為す。其の義兄二人有り。長兄を亀仲座と曰ひ、早死す。当銘、其の子三人を収養す。其の長子年長じて、乃ち屋を作りて之れに与へて以て門戸を立つ。次兄は嘉那仲座と曰ひ、男女四人を生みて亦早世す。其の長女簪するに及び、当銘厚く蜴曹備へて之れを嫁せしめ、其の余も撫育すること子の如し。又村老に約して国法に導遵し、此れより郷俗正しくして公事治まる。曾て蘇鉄を種ゑて以て饑饉を防ぎ、松を空地に植ゑて以て公用に応ず。是に于て、村民之れに効ひて、争ひて種う。仍ち村人其の孝に感じ、其の功を表し、以て公朝に告ぐ。乃ち位併びに賞物を奨賜す。