[本文1105]【泊邑の照屋、屡々人命を救ひて褒嘉を荷蒙し、勢頭座敷に擢んづ。、】康煕丁酉の冬、伊江島船隻、貢米を運送して泊邑に来到するのとき、ユに暴風に遭ひ、波濤猛起し礁を衝き殆ど危し。照屋忽然之れを見て、急に雍伯雄(具志堅子興勝)を催し、即ち他の船に登り、檣モを抜出し、以て救生を為す。嗣後、各処の船隻泊津に来到し、暴風に遭ふ毎に、或いは繩索を給し、或いはロケを与へ、屡々救命を致す。辛亥の夏、王子尚徹坐駕する所の船隻、已に砂辺の外を過ぎ、忽ち逆風に変じ、以て那覇に敲到し難し。近海の人、皆小舟に乗り、以て海に出でて挽き来らんとす。照屋、泊筆者に随ひて、亦舟に乗りて出迎す。而して冥々たる黒夜にして其の所在の処を知らず。忽ち蜂火の崎原に起るを看る。照屋、夜更くること已に深きを顧みず、其の所にj到す。即ち尚公、照屋をして引きて那覇に至らしむ。乙卯の年、今帰仁郡の船、行きて浦添郡外に到り、礁を衝きて破壊し、人皆檣に依り、波に随ひて飄流す。此の時、照屋の船、名護より回り来り、倏然として之れを看るや、急に帆を下ろして、風に逆らひて以て他の来るを俟つ。奈んせん、風波大いに起り、船将に漂没せんとす。即ち帆を揚げ敲jし、遙に長繩二条を下し、声を揚げて大いに其の人を呼ぶ。五名は其の繩に依りて游ぎ来る。其の余の六人は海面に浮沈す。照屋頻りに高声に呼ぶ。午天に至り、風波漸く大にして撈救する能はず、家に回去す。亦風静かなるを俟ち、邑人伊佐を催促し、食物を携去して共に小舟に坐し、往きて其の処に至り、将に以て助済せんとするも、其の人を尋ぬること能はず。晩天に至り空々にして回る。是れに由りて深く褒美を蒙り、擢んでて勢頭座敷と為る。