[本文1114]【佐敷間切に今尚徳王の裔孫有り。佐敷村に在りて、世々其の神主を万寿寺に祭る。】佐敷村に、今、平田文子なる者有り。其の始祖は乃ち尚徳王の第二子なり。初め尚徳王は暴虐無道、薨ずるに及び、其の太子は国人の殺す所と為りて国亡ぶ。第二子は時に年三歳なり。乳母抱き逃れて死を免る。暗に佐敷村に長ず。乳母貧なるに因り、読書すること能はず、肯へて農事に力め、深く稼穡を知る。時に佐敷間切、多く賦税を欠き、計の補ふべき無し。彼の始祖、百姓を督令し、力を尽して以て耕し、三年に及ぶ比、尽く其の欠を補ふ。乃ち賞して屋比久地頭職を授く。之れを称して屋比久大屋子と曰ふ。又尚徳王の神主は万寿寺に在り。始祖大屋子、新米を収むる毎に神酒を造り、兼ねて芭蕉等の菓を陳ねて以て其の神に薦む。今、其の子孫、其の祭を継守す。