[本文1117]【西原間切我謝村の平良、再び養母に売られ、再び自ら身を贖ひ、勤倹して養母を養ふ。】我謝村に平良掟親雲上なる者有り。生れて甫めて二歳にして母死す。父は即ち之れを桃原村の寡婦に与へて以て其の子と為す。年十五に至るの時、養母之れを売る。年十七歳にして、又価を加へて、他処に売与す。月夜に私耕して年三十に至り、乃ち贖ふ。又母債有りて人に逼索せらるるを見て、便ち身を売りて以て之れを償ふ。年四十一に至り再び贖ふ。但家貧にして、破缶を以て鍋と為し、螺殻を以て椀と為す。天命なれば則ち編稿を衣、夜寒なれば則ち稿席を被る。日は以て田を耕し、夜は以て籠を作り、乃ち家裕を致して母を養ふ。六男三女を生育して六十一歳に至る。国頭按司に供役するに因り、黄冠の位を拝す。