[本文1135]【聞得大君国母宮回禄す。】国母宮、七月十九夜火を失す。早くも内侍女官に仲程大阿母志良礼と曰ふ者有り。人と為り厚重、是の時、慌せず、忙せず、閨門の鎖を開き、火災を大親に説知し、次に庭門を開き、国母を請出して籠輿に奉坐し、諸嬪護随し、官吏護保す。大阿母志良礼、燭を秉りて復宮内に入り、宝物の所在を衆役に指示し、急に出でて籠輿に随ひ、奉じて王城に入る。王、号鐘の声を聞き、急に城を出でて、中途に迎接護衛す。王妃も亦閨門を出でて迎接し奉じて王宮に入る。大阿母志良礼の良策に困り、老幼宝物燬せず。乃ち濮院紬五端・糸綿五把・京銭二千貫文を褒賜す。又御庖丁に鄒璋(照屋筑登之親雲上章孝)なる者有り。先に国母宮に進み、駕を護りて門を出で、既にして飛奔して城に進み、国母の恙無きを奏聞し、門を出でて城に赴き、以て王上の心を安んず。亦褒書を賜ふ。次日、首里・那覇・泊・久米村の士民、先を争ひて親しく燼灰を負ひて、日ならずして掃し畢る。時に中城間切総地頭、一百余民に揆りて助掃す。