[本文1147]【三十三年、八重山島に一男二女の孝人有り。】此の男、名は新里、一女の名は那宇佐、一女の名は牛、是れ皆赤頭新里の子なり。其の父新里、四男五女を生下し、其の一男二女は、仁厚至孝なり。其の男新里は、朝夕の飲食、父母の命を請ひて供す。又或いは戯席有り、或いは大観有るも、父母已に老い、行きて見ること能はず。即ち己の家に招来して、父母に請ひて之れを見せしむ。又母衰老に及び、疾症に染息す。新里、患懼に堪へず、昼夜侍坐し、或いは痰出で難ければ、親ら口舌を点して、其の痰を吸出す。又母常に雷を懼る。新里或いは田畝に往き、或いは他方に行きてユに雷鳴有れば、火速に回り来り、母の側に侍坐し、之れをして驚かざらしむ。又二女、時に常に輪流して、父母の己が家に来るを請ひて、心思を喜慰し、珍物を奉供して老年を養ふ。父は年八十、母は年八十六にして、病に染みて死す。出葬の時、葬礼の品物、調備せざるは莫し。其の後の祭祀も誠に謹しむこと在すが如く、其の行ふ所を見るに、父母の在すより、已に死後に至るまで、終始一の如し。兄弟和楽し、且親族・村人と相交りて和睦す。是れ素より能く教家を為すに非ずんば、何ぞ此くの如くならんや。