[本文1181]【八重山寡婦の孝行を奨す。】八重山島に寡婦有り。名づけて宇那礼と曰ふ。既に三子を生み、其の夫小浜早死するも、堅く節義を守り、能く舅姑に孝す。其の舅、年老いて精気甚だ衰へ、自ら屎尿を行ふこと能はず。寡婦護扶して行はしめ、少しも怠慢すること無し。衣食の供の如きも、或いは夾綿或いは単布或いは粥或いは飯或いは神酒の類、先づ其の欲する所を請ひて之れを進む。舅、彌々衰へて、婦彌々孝、曾て違逆の心無し。毎朝、婦、舅の髪を梳り、其の一身をして、垢穢に染まざらしむ。冬は則ち火を進めて煖を供し、老舅所居の処、極めて清潔を致す。寡婦の孝行なること此くの如し。是を以て長子伊那真・其の妻鍋等、皆観感して孝に向ふ。但寡婦、夫を喪ふの時、子皆幼穉にして、一人の、家道を助治する者無し。只寡母一人の力を以て孝を兼ねて子を養ひ、以て成人を致す。当日寡母告ぐる無きの苦を受くること、真に言ふべからず。今見るに、子皆能く母の教を聴き、肯へて耕耘に力めて、漸次豊を致し、粟米を儲ふを得たり。能く母の行に倣ひて、皆以て孝有り。屡次魚を捕へ、祖に供して孝養す。祖父年九十に至り、忽然として病を得。母子驚慌して医を延きて調治するも愈えずして亡じ、厚く葬る。後日以て豊かに祭を致して懈らず。今只羨むべし。寡母、堂に在りて亦孝養を享くること、恰も其の舅の如し。而して子の兄弟を見るに、既に和楽を翕め、以て寡母の心を安んず。又宗族・親戚と相睦び、村人に至りても、此れと相和せざる者無し。是を以て特に寡婦宇那礼に賜ふに、筑登之位の妻の呼を以て之れを称呼し、長子小浜に賜ふに、筑登之位を以てし、又宇那礼・小浜・其の妻鍋三人に、各々糸綿二把を賜ふ。