[本文1193]【七年、八重山国吉の孝行を奨す。】八重山仲間村の国吉仁屋は、人と為り天性至孝なり。不幸にして母早死す。父粟国、乃ち国吉に告げて曰く、我聞く、男六十ならずして鰥居するを得ず、今吾、年方に五十二。若し妻在らずば衣服製浣総て是れ便ならず。此れに由りて吾再娶せんと欲すと。国吉、父の命を奉じ、即ち煤を央めて前みて本村於佐家に行き、其の女、加以志を灼媒するに、化れ応承を肯んぜず。国吉、父の、念を掛け、忘れざるを見、子の心何ぞ止まん、再び煤を遣はし強ひて勧む。化れ遂に応允す。父子歓喜に堪へず。即ち日を択びて婚を為す。其の後、加以志、女子を生得し、名を鍋真と曰ふ。年三歳に及び、母、加以志早死す。父粟国、幼穉の女を見て、悲惻疆り無し。国吉夫婦、朝夕侍坐し、父の心を安慰す。亦妹鍋真を愛し、既に成長に及ぶや、厚く粧奩を備へて村人に嫁す。此の時父粟国、衰老して痰を発し、且腰痛す。国吉火を供ぺ火を具へ、朝夕の食物の外、或いは黒砂糖、或いは万金丹、或いは泡盛酒、父の欲する所に従ひて奉進するの外、或いは奉公して山林に入り、或いは田圃に往き、父の嗜む所の田蟹及び時物の菓実等を見得れば、即ち星夜携へ回りて之れを進む。此れに由りて、村人其の孝行に観感し、他の父の嗜む所の品物を将て、国吉に送与して其の父に進めしむ。其の父年八十二歳に至り、病を発して食物進まず。小X渠(俗に安左加以と叫ぶ)を吃はんと欲す。冬天寒しと雖も、而も畏憚せず、即ち海辺に往きて、取りて之れを進む。即ち之れを喫して病愈ゆ。国吉の孝行此くの如きの外、又自身、或いは田畝を耕耘し、或いは工匠と作り、又妻をして家業に勤めしめ、遂に資財を貯積し、兄弟妹の足らざるを見れば、即ち之れを助く。又村人親戚と相待ちて和睦す。意らずも父病に染みて世を辞す。俗未だ龕飾有らず、只下台して之れを葬る。国吉新に龕具を造り、出葬の礼を為す。其の墓始めて砂灰を用ひて之れを塗る。又其の後朝晩の飲食は必ず神位に薦め、又年回忌及び佳節には祭掃懈らず。惟有る所の龕は、之れを村に与へ、村人をして備葬の飾を得しむ。国吉の行、亦此くの如し。是れに由りて黄冠位併びに糸綿二把を褒賜し、妻に糸綿二把を賜ふを蒙る有り。