[本文1237]【二十二日、宮古島の東仲宗根与人・長間与人、民に勧め俗を革むるに因り、物件を奨賜す。】多良間島水納村は、海を隔つること三里、其の地窄狭にして沙多し。且百姓、農務を荒蕪して、漁猟以て年貢を営まんと欲す。是を以て人多く漸く困し、賦米を欠すること約七石余有り。時に東仲宗根・長間二人、民心を勧励し、力を農業に尽くして、以て其の欠を完うす。且其の村、古より虚説に惑ひて修墓を嫌ひ、人死すれば則ち地を択ばずして之れを埋む。又喪祭の礼を知らざるを以て、二人、村中の老幼を招聚し、叮嚀に之れを教ふ。始めて一墓を築き、各処に埋むる所の屍を合葬して、旧葬の地を以て、変じて耕田と為すこと凡そ八百六十一坪なり。又之れに教ふるに、祭祀の礼を以てし、其の俗美に改まる。此れに因りて、彼の島の在番及び頭目等、由を備へて報じ来る。法司之れに拠りて王に奏し、其の二人に掛物各々一幅・糸綿各々二把を奨賜す。又塩川村耕作筆者下地仁也・杣山筆者平良仁也・仲筋村耕作筆者高江洲仁也等三人は、彼の東仲宗根・長間二人に随ひて、同じく勤労を為す。故に奨して赤八巻位に陞す。