[本文1238]【二十八日、御検使を宮古・八重山・姑米三島に遣はして、以て田地を正すを准す。】宮古島頭目等禀して曰く、昔御検使を遣はして以来、歴年已に久しく、制度混乱し、風俗変頽し、百姓業に荒みて、年ごとに貢賦を欠く。且明年より三度夫銭米を加輸す。其の百性、承弁する能はざるを恐る。請ふ、御検使を遣はして田地を正理し、風俗を革化せんことを。因りて御物奉行をして申口官と会同して確議せしむ。其の覆に曰く、今国中厳に倹約を行ふ。其の検使を遣はすは、不便に属すと雖も、然も田地混雑し、農業荒怠すれば、則ち万民の困苦するや必せり。応に検使を遣はして以て之れを正すべし。又八重山・姑米山は、請ふ所無しと雖も、亦応に往きて旧制を正して可なるべしと。法司議に拠りて具奏す。王、向文源(漢那親方朝昌)に命じて之れが使と為す(九月十九日漢那親方禀称す、宮古島・八重山は各々海路を隔つ。若し明年秋を以て起程し、後年夏の内に両島の事竣りて、復、姑米に到るは、料るに、必ず難からむ。請ふ、来春に起身することを准せば、滞蛯キる無きに庶からんと。命を奉じ、其の請ふ所を准す)。丁亥三月二十一日那覇開船、二十七日宮古島に到り、公務已に竣り、十月十五日彼の島放洋す。次日八重山に到り、戊子六月初二日彼の山開洋し、久米島に往かんとするも、風不順なるに因り、駛せて本国に至る。己丑三月十六日那覇開船、次日久米島に到る。公務全く竣り、五月二十七日回国す。