[本文1243]【三月二十七日、小禄郡大嶺村の松川親雲上の孝行を褒賞す。】松川親雲上は秉性純孝、嘗て西掟と為り、転じて夫地頭に陞り、戊寅の年、又小横目役と為る。其の父母、年各各八十余歳にして松川之れに事へて孝を尽くし、出入には必ず告ぐ。其の家馬場に近く、人多く会集す。松川、老親の、人を待するの辛苦を念ひ、別に房屋を造りて、父母を安居せしめ、弟喜屋武筑登之をして側に侍せしむ。日用の飲食に至りては、必ず其の好む所を問ひて、以て之れを進む。且毎年米を以て酒家に托して酒を造り、以て供奉を為す。寒なれば則ち火箱を供して以て之れを温め、且蚕桑を養ひて、以て衣帽を供し、其の剰す所の綿を以て、親戚の老者に分与す。二十年前、父眼疾に染み、療治するも痊えず、遂に瞽盲と為る。松川、毎年五月初四日を定めて、舟を江流に活ベ、弾絃唱歌して、以て親の心を楽ましむ。乙酉の年、父、重病に染む。松川夫婦、医を求め薬を進め、昼夜側に侍し、心を留めて調養す。奈んせん年邁ひて、飲食進むこと少きに因り、松川自ら療治を行ひて、其の病全く愈ゆ。其の母は、嘗て大嶺村の女祝為り。御祭と朔望と及び諸方参拝の務有るも、年老いて行ひ難し。松川、qを備へて之れに乗せ、以て往還を為さしむ。是を以て礼節欠くる無し。至若、松川行路の時、路上小石有るを見れば、則ち老弱と妊婦との踏跌するを恐れて、揀拾以て之れを除く。且甲子年以来、大嶺村の百姓十二人、年税の足らざるに因り、皆身を売りて以て之れを納めんと欲す。松川之れを聞き意に謂へらく、許多の百姓、身を他方に売れば、則ち担に一村の衰微するのみならず、父母妻子亦背離散し、甚だ堪憫に属すと。遂に金を発して之れを買ひ、平日之れを使ふに道理を以てし、之れに勧むるに農業を以てす。且其の配無きを怜れみ、之れが為に妻を求め、数年ならずして、皆身を贖ふことを得て、各々門戸を立つ。奴婢に至りても、亦、偶を択びて嫁を成す。是を以て、奴僕の、松川夫婦を視ること猶父母のごとし。且大嶺村に神有り。名づけて和良伊喜と呼ぶ。其の宮は茅を以て之れを蓋ひ、又海辺に近きに由り、毎年修葺するに堪へず。松川、村人と相議し、瓦を以て改修す。而して其の工銭は、松川其の一半を捐す。且小禄郡、落地生を裁<栽>うること多からず。公用に値ふ毎に、則ち他処に往きて、貴買して之れをアむ。松川人に勧めて播種せしめ、此れより落地生蕃息して広衍す。且山野に松木千株・鉄樹二万余株を植ゑて、以て饑饉を防ぎ、凶年に遇ふ毎に、則ち親戚隣里に分与して、以て其の命を教ふ。検者・両総地頭・田地奉行等、其の孝行を以て、転詳具題す。王上之れを嘉し、座敷位併びに上布二疋を賜ふ。