[本文1256]【四月朔日、金城親雲上の善行を褒賞す。】金城親雲上は、乃ち小禄郡宇栄原村の人なり。幼より志有り。両親其の成立を冀ひ、其れをして書算を学習せしむ。金城曾て文子と為り転じて惣地頭に服役す。奈んせん、家、素、貧兼ねて母の身弱く、父一人の力を将てしては日食続ぎ難し。此れに因りて、金城、下班の時、昼は則ち耕作し、夜は則ち棉を弾きて以て食を為し兼ねて奉公す。直ちに西掟に登る。此れより順に惣耕作当・夫地頭に陞り、転じて地頭代に任ず。勤職多年にして毫も蜴ク無し。祖母、両親をして倶に各々安心せしめ、衣服・飲食は其の好む所に従ひ、家事は皆其の命ずる所に従ひて行ふ。祖母享年九十四、父は享年六十五。今母存し、年八十五に及ぶと雖も、壮年より脚病に染みて外出するを得ず。金城之れを憐み、常に以て之れを悦ばしむ。啻に一家孝に興るのみならず、他村の人も亦観感興起す。且夫の小宗家に大城なる者有り。曾て眼病に染み、未だ幾くならずして歿す。妻子皆身を売らんと欲す。金城、之れを聞き、銭千三百貫を発して、妻子をして離散せしめず。且正月・七月併びに佳節に遇へば、亦銭を発して之れを助く。之れに依りて、宗家、祭祀を完備す。又大宗家に具志筑登之なる者有り。年不熟なるに因り、賦米を欠す。金城之れが為に銭八百貫を借して、以て其の欠を完うせしむ、且金城の力を将て、其の借る所の債を償還す。担に此れのみならざるなり。已に具志病を抱きて費用甚だ多し。男子は文子為りと雖も遂に身を売る。金城之れが為に力を鼎し、銭四百貫を発し、其をして身を贖はしめ、男子、旧の如く職に任ず。奴婢に至りても亦之れを親愛し、田園を分与して、各自、業に勉めしむ。且奴婢の嫁娶にも、亦財貨を発賜し、其をして婚姻せしむ。是を以て、奴婢、各自心を尽くし業に勉めて、及早に身を贖ふ。奴婢の内八人は倶に身価を免じ、十人は皆半価を免ず。是を以て奴婢、金城夫婦を視ること、猶父母のごとし。且村人に農を勧め、休遊せしむるの時、乙丑の年より以来、年年米五斗を給す。農人、恩に感じ、力を農畝に尽くす。夫の金城、村に于て善便と謂ふべし。且庚辰の年、宮城村の人十九名、蘇鉄を食して其の毒に当り、十死一生に及ぶ。金城之れを聞き、急ぎ妻子を率ゐ、沙糖・猪油・豆を携へ来り、自ら療治を行ふ。又医師友利宗奄を請求して服薬せしむ。年大飢饉に因り、村中米無し。金城僕を遣はし、自家の米を取り、粥を煮て之れを食せしめ、之れに依りて十二人、各々活命するを得たり。又利無くして米五斗を借し、以て其の飢を救ふ。且粟苗併びに木綿を種ゑ、糞を用ひて培植するの法、金城よりして始まり、今に其の法は郡中に行はる。夫の金城は、気量人に過ぐ。故に宮城・具志両村の地頭併びに村人、本村は諸上納物本立帳無く、事甚だ弁じ難きに因り、金城に倩りて造帳するを請ふ。現今惣地頭、金城に着令して各村の諸帳を勘定せしむ。且、宇栄原・松川両村、欠債し身を売る。金城、癸末の年より督理の人を設立し、猶自ら督率を為し、百姓を勉轤キ。各自、業を勤め兼ねて揺会(俗に寄合と称す)を為し、以て其の債を還す。曾て身を売る者、亦漸々身を贖ふ。料ふに必ず近年の内、両村豊裕せん。夫の金城は、惟に孝行群を超ゆるのみならず、且郡中の諸事も亦善便と為る。厥の功小ならず。是を以て検者・両惣地頭及び田地奉行等、其の善行を以て転詳具題す。王上、之れを嘉し、越階の座敷位を賜ふ。